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メンデルスゾーン「道徳論の基礎における明証性」解題

メンデルスゾーンはヴォルフ学派に属する思想家であり、ベルリン啓蒙の時代を生きた当時を代表する知識人である。

今回私が抄訳したテキストは、『形而上学における明証性についての論文』(Abhandlung über die Evidenz in Metaphysischen Wissenschat) であり、カントを凌いで一位を獲得した懸賞論文として有名である。これは、ベルリン・アカデミー哲学部会が「形而上学的真理一般、特に自然科学と道徳の第一原則が、数学的真理と同じ判明な証明を持ちうるか否か」という当時の哲学界の関心事をテーマとして公募した懸賞論文である。この小論において、メンデルスゾーンはヴォルフ学派的立場から、道徳の基礎原理について、それも数学の明証性とは異なるが確かに明証性を持ちうると論じた。

ちなみに、メンデルスゾーンが僅差でカントを凌いで一位を獲得した点について、Guyerは、「ヴォルフ主義者が支配するアカデミーの選出により一等に輝いたのはヴォルフ主義者モーゼス・メンデルスゾーンであった。」(Guyer (2006) p. 25) と述べ、ヴォルフ学派にとって望ましいものだったから僅差でメンデルスゾーンが勝利したと評する。確かに当時ベルリン・アカデミーの院長を務めていたのはヴォルフ学派のオイラーであったが、このようなヴォルフ学派の支配という外的状況によって片付けられるほど単純なものではないという指摘もある。例えば、小谷 (2016) p. 56を参照せよ。

 さて、簡単にではあるが、訳出した範囲である同書第5章「道徳論の基礎における明証性」について、内容を紹介したい。メンデルスゾーンは、人間の行為は理性による推論によって導かれると考えている。大前提として、「Aという特性が見出されうる場面は、Bという義務を行うことを要求する」があり、小前提として「目の前に生じている事例はAという特性をもっている」が置かれることで、三段論法的になすべき行為が導かれる。この大前提が「格率、一つの一般的な人生規則」であり、小前提は経験的な「現在の事態の正確な観察」に基づく。メンデルスゾーンによれば、道徳論の一般的な原則を幾何学のような厳格さをもって証明することはさほど難しいことでない。というのも、私たち人間は共通の理性と判断力をもっているのだから、善悪は同じ根拠に基づいているはずであり、それは個々人の洞察力の程度によって異なっているだけだからだ。すなわち、「何をすべきか、何をすべきでないかを決定するための一般的な基本規則」があり、それが「自然の法則」である。

この自然の法則が道徳の原理であり、それを導くためにメンデルスゾーンは三通りの方法を提示する。一つ目の方法は、人間の欲望や願望、情念や傾向性を観察することである。確かにそれらは経験的で特殊的であるが、最終目標は一つであり、それは最高善であり完全性である。ここから、メンデルスゾーンは「あなたとあなたの隣人の内的な状態と外的な状態をふさわしい割合で、できる限り完全なものにせよ」という自然の第一法則を導く。

二つ目の方法は、自由意志をもった存在からアプリオリに証明することである。メンデルスゾーンによれば、自由意志をもつ存在は自分が気に入った対象物を選択することができ、この気に入ることの根拠は「完全性、美、秩序」である。「完全性、美、秩序」は私たちに快を与え、それによって私たちは行為へと動かされる。ここでいう「動かされる」という事態は、自分が気に入ることの根拠に基づいているのだから、自由な存在者にとって物理的な制約ではない。メンデルスゾーンは、ここには「道徳的な必然性」が含まれていると述べ、それを義務づけと呼ぶ。ここから、私たちは「完全性、美、秩序」へ向かっていくように義務づけられているため、「あなたとあなたの隣人の内的な状態と外的な状態を、適切な割合で、できる限り完全にせよ」という自然の法則が同様に導かれることになる。

三つ目の方法は、神の創造の意図を考察することである。神は最も賢明な意図に基づいて行為する存在であるから、その意図は被造物の完全性にほかならない。それゆえ、神の被造物であり所有物である人間は、神が規定する完全性の法則に従って行為するように拘束されている。これらに基づいて、メンデルスゾーンは実践哲学の体系を次のように確立する。「私たちの行為は、それが完全性の規則に合致したものであるか、どちらがより完全か、神の意図に合致したものであるか、そうでないかという点で善か悪かである。」

 メンデルスゾーンは三つの方法から「自分と他人を完全にせよ」という共通の結果が導出されると考えるため、私たちを道徳的に義務づけるのは、完全性を求めることにあったといえる。そして、自分や他人の内的な、あるいは外的な完全性を求める行為、すなわち善い行為をなす習性を徳と名づける。「徳は善い行為への習性であり、悪徳は悪い行為への習性である。」例えば、Guyer (2011) は、アリストテレスにさかのぼる卓越主義 (Perfectionism) の基本的な構造に一致することを見出し、アリストテレスの徳倫理学の継承であることを指摘する。こうして構成された道徳の原理たる普遍的な自然の法則から、「私たちの義務、権利、責務」の全体系を説明することができるため、道徳哲学は首尾一貫性と確実性があるのである。

 さて、懸賞論文の課題でもあった、道徳哲学の確実性についてのメンデルスゾーンの主張をクリアにしたい。まず、メンデルスゾーンは道徳哲学を「自発的な存在者の性質の学問」と定義し、その体系における確実性は形而上学のそれと同じであると論じる。そして、道徳哲学の明証性が形而上学の基礎の上に成り立っているため、形而上学的な理念(神、世界、魂)についての確信が先行していなければならないと言う。それゆえ、道徳哲学の明証性を得る方が、形而上学の明証性を得るよりも困難であるとされる。

 さらに、道徳哲学はたとえば数学と違って人間の行為についてのものであり、理性による合理的な実践的推論によって実行される行為を問題とする。三段論法的に行為を導く際、メンデルスゾーンは、普遍的な自然の法則から直接流れ出る大前提については幾何学的な厳密性をもっていると断定するが、現在がその原則を適用させる場面であるかを見極める小前提は経験によって知られるしかないとする。真の根拠をめったに含むことのない経験の確実性に依存せざるを得ない人間は、「ばかげた蓋然性」に身を委ねるしかない。私たちは何をすべきかを問われる実際の機会において、その蓋然性の根拠をじっくり問う時間は与えられていないが、理性による吟味は時間がかかる。そこで、「良心と幸福な真理感覚」が理性に代わって働く必要がある。「良心とは善と悪を区別する習性であり、真理感覚とは、不明確な推論によって真と偽を正しく区別する習性である。」これらは不明確な推論に基づくにもかかわらず、時間をかけて訓練されるならば、理論的に得られる確信よりもよっぽど強く私たちを行為へと駆り立てる。なぜなら、「私たち人間は理性以外にも、私たちのすることなすことを規定する中できわめて重要である感官や想像力、傾向性や情念をもっている」からである。このようにメンデルスゾーンは、理性によってではなく感情としての良心の働きによって蓋然性の根拠を与えようとしている。これは、当時のヴォルフ学派に支配的であった理性主義とは一線を画する主張であり、例えばKlemme (2018) も主張していることだが、この良心の働きについての洞察が、メンデルスゾーンが理性主義をとっていたヴォルフから最も離れる論点である。

 さらにメンデルスゾーンは、人間は理性による判断と感性的衝動による判断が対立する場合を想定し、それらが一致するためにはどうしたらよいかを考察していく。その手段を与えるのが倫理学であり、それをメンデルスゾーンは四つに還元する。一つ目が「動因を積み上げること」である。知性だけでなく、「感官や想像力も同時に働く」人間は、唯一の確信できる動因よりも、説得力のあるいくつかの動因の方が心を動かされるからである。二つ目が「訓練」である。ある動因によって動かされることを、その行為がたやすくなるまで繰り返して習性を身につけることで、理性のもとに感性的衝動を一つの目的に向けて一致させることができる。習慣と訓練の助けによって、「私たちは最も手に負えない傾向性に打ち克ち、最も頑固な情念を理性のくびきのもとに置くことができ、あるいはむしろ、その傾向性と情念の助けによって、私たちは理性の指令とともに一つの同じ目的を持つものを生み出すことができる」のである。三つ目が「快適な感覚」である。美しさと優美さによって想像力を刺激することで、理性と想像力の判断が一致する。これに役立つのは芸術や文学である。四つ目が「視覚的な認識」であり「実例」を示すことである。「感官をかきまぜ、想像力を揺さぶるので、実例は心の同意において強い影響力をもつ。」

これらからわかるように、メンデルスゾーンが洞察していたのは、道徳論における私たちの確信を支えるものは理性ではなく真理感覚で把握された、蓋然的だが生き生きした確信だということである。ここには、理性ではなくむしろ感情的側面に位置する良心や真理感覚によって強く動機づけられる人間の姿が強く反映されており、蓋然性の根拠が理性による推論を越えて私たちの心を刺激することが示されている。メンデルスゾーンによれば、厳格な理性の下にすべての傾向性や荒々しい情念を支配する人間はほとんどいないのである。メンデルスゾーン倫理学は、理性だけではなかなか行為へと動かされない人間を鋭く見抜き、感情的側面と蓋然性を積極的に評価している点に、独自性がある。

 

【参考文献】

Heiner F. Klemme „Der Grund der Verbindlichkeit. Mendelssohn und Kant über Evidenz in der Moralphilosophie (1762/64)“, in KANT-STUDIEN, 109 (2): 286–308, 2018.

Paul Guyer, Kantian Perfectionism, in L. Jost & J. Wuerth (Eds.), Perfecting Virtue: New Essays on Kantian Ethics and Virtue Ethics, Cambridge: Cambridge University Press, pp. 194-214. 2011.

Paul Guyer, Kant. 2nd edition, Routledge, 2006.

小谷英生「1763年度ベルリン・アカデミー懸賞課題に対するメンデルスゾーンとカントの回答」『群馬大学教育学部紀要』第65巻、pp. 55-69、2016年。