哲学なんて知らないはやくん

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精神疾患は脳の病か?ーー現象学の可能性

精神疾患(mental illness)がいかにして病(illness)として同定されるかについては、複雑な議論があります。そこには、「心とは何か」という大きな哲学的問題や、「病とは何か([1])」という医学的問題が絡み合っているのもあって、とても全体像を扱うことはできません。なので今回は、精神疾患は脳の病気であって、心の病気というものは存在しないという還元主義(Szasz等)と、精神疾患はたんなる脳の病気ではなく、環境へと拡張された現象であるとみなす現象学的見解(Fuchs等)に話を限定し、後者の可能性について確認していきたいと思います。

 

精神疾患という神話?ーーSzaszの還元主義
 例えばSzaszは、精神疾患を精神の病気であるとすることは間違いであり、脳の機能障害に還元可能であると考えていました。Szaszは次のように主張しています。

「しかし、脳の病気は脳の病気であり、それを精神疾患と呼ぶのは混乱と誤解を招き、不要である」。(Szasz 1987, p. 49)

Szaszの精神疾患の存在を否定する議論には、大きく5つのポイントがあります。以下では、Schramme(2004)のまとめにしたがって要点を整理してみたいと思います。

Ⅰ.) 身体的病気と精神的病気の生成(generation)が異なる。
→Szaszは、感覚によって把握可能な身体構造(bodily makeup)の変化のみを病気の生成と考えていたため、精神的な病気を特定することは不可能と断定します。

Ⅱ.) 体の病気の場合は客観的な兆候から特定できるが、精神疾患は主観的な訴えからしか特定できない。

Ⅲ.) 精神病は単なる比喩的な病気である。
→Szaszは、身体的な異常のみを病気と定義しているため、精神の病気はそれの比喩的表現でしかないと考えました。

Ⅳ.) 第四に、身体と心はカテゴリーが違うため、両者に同概念(=病気)を帰属させるのはカテゴリーミステイクになる。

Ⅴ.) 体の病気の場合、規範は価値的に中立であるのに対し、精神の病気の場合は価値的に重く、つまり精神の病気の概念は体の病気の概念とは逆の価値判断を含んでいる([2])。

SchrammeはSzaszのすべてのポイントに対して批判的に検討を加えており、精神的な病気の概念について、さらなる議論が必要であると結論づけています([3])。しかし、現代の精神医学のパラダイムにおいて、神経生物学的な還元主義はいまだ大きな影響力を持っていると思われます。例えば、精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders: DSM) や疾病及び関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems: ICD)は、基本的に実証主義的な考え方に基づいてデータを収集しており、その個人的なデータを神経生物学的に客観的に記述・分類する手法が主流となっています。それによって、精神医学の患者の主観的な経験が見落とされてしまう傾向が強くなります。

しかし、精神疾患の原因はそれだけで語り尽くせるのでしょうか。普段から我々は鬱になったりしますが、全てはたんなる脳のバグなんでしょうか。そこで、その人の主観的な経験や具体的な環境に着目する必要性を訴える立場が台頭してきます。それが現象学の可能性を示すものです。

 

心の病は世界の病ーーFuchsと現象学の可能性

Fuchsは還元主義的見解を鋭く批判し、精神疾患を患者の環境(Umwelt)との関係から切り離して考え、病に対する主観的な経験の重要性を無視する傾向に対して、現象学的な観点から、身体化されたエナクティヴなアプローチを提案しています([4])。

Fuchsの基本的な主張は、精神疾患はたんなる脳の中の機能障害ではなく、その主体と彼らの環境との相互作用にかかわっているというものです。例えば、Fuchsは次のように主張しています。

精神障害は、単なる「脳の機能障害」と考えてはいけない。むしろ、世界内存在としての障害であり、システム用語で言えば、脳(その役割は、単なる機能的異常か構造的異常かによって異なる)を媒介とする環境と個人の生態的相互作用(ecological interactions)における障害なのである。」(Fuchs&Schlimme 2009: p. 573.)

それは、脳波を計測したり、アンケート用紙の回答から引き出すことのできない主観的な要素であり、それゆえ精神医学の実践では、患者の主観的な経験に対する理解を深めることが要求されます([5])。つまり、精神科医は、患者を客観的な診察対象としてのみ診るのではなく、その患者の生活世界そのものに目を向けなければならないということです。

なぜなら、環境との関係はその主体の生活の全状態にかかわっており、「精神障害は、心-脳と有機体-環境の相互作用の全サイクルに影響を与える」からです。(Fuchs& Schlimme 2009: p. 574.)

Fuchsによれば、このような自己(患者)と世界との関係を全体論的に把握する精神医学は、現象学的アプローチによって探求される必要があります。

それゆえFuchsが言うように、
「今後、精神医学における現象学の重要性はますます高まっていくと思われる。」(Fuchs 2010: p. 240.)


([1]) 病気を意味する表現は多様であるが、本稿ではillness, disorder, diseaseらを概ね同義語として扱うことにする。
([2]) cf. Schramme 2004: p. 106.
([3]) ibid p. 117. 第一のポイントに対して:感覚的に把握できる身体的構造の変化のみを病気と考えるのは狭すぎる(cf. p. 109)。第二のポイントに対して:Szaszは患者の訴えにのみ基づいて、幻覚などの症状から精神疾患を特定するといっているが、それは明らかに間違いである(cf. p. 110)。第三のポイントに対して:病気の定義を身体的な異常のみに限定しており、精神疾患は脳の異常にすぎないという定義的前提が問題含みであるから、さらなる検証が必要である(cf. pp. 112-113)。第四のポイントに対して:Ryleのカテゴリーミステイクの議論は、デカルト的な心身二元論に対する批判であって、精神疾患の存在を否定するものではない(cf. p. 116)。最後のポイントに対して:精神疾患は必ずしも文化や政治に左右されないし、むしろ身体的疾患さえも文化的な影響を受けることがあるため、病気がどこまで価値中立的かどうかは自明ではない(cf. p. 117)。
([4]) cf. Fuchs 2010: p. 235, 238-239. なおDeHaanも、精神医学のパラダイムにエナクティヴィズムを導入することを提案している。「私は、精神医学の障害(psychiatric disorders)の経験的、生理的、社会文化的、実存的側面がどのように関連しているかを解明するのが、エナクティヴなアプローチであると主張した。これらの多様な次元は、(社会)世界と相互作用する人間という一つの複雑なシステムからの異なる抜粋であるとみなすことができる。これらの次元を統合し、同時にそれらの間の差異を認識することによって、精神医学の障害の複雑さを把握することができるのである。このように、エナクティヴ・アプローチは、人間を、その生理学的で身体的な構造から社会的性質や実存的価値まで、統合的にとらえることができる。そのため、精神医学において前面に押し出される人間生活の豊かさと傷づきやすさに適合している。」(DeHaan 2020: p. 21)
([5]) 患者の主観的な経験に対する理解を深めることは、哲学が精神医学の実践にもたらす最も重要な貢献であろう。(Fuchs 2010: p. 239)