哲学なんて知らないはやくん

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カント「哲学者にとっての身体の医学について」解題

哲学者にとっての身体の医学について

(原題: De Medicina Corporis, quae Philosophorum est)

 

ここで扱うテキスト『哲学者にとっての身体の医学について』は、カントが1786年10月1日にケーニヒスベルク大学学長としての公開演説として行ったものです。テキストは、いわゆるアカデミー版の第15巻(939-53)に収録されています。内容は大雑把に言うと、哲学者と医者による心と身体の治療法です。カントは、医師には哲学的機能を、哲学者には医学的機能を課して、医学は身体を治療することによって心の病を取り除くことができるし、哲学は精神によって身体を支配することを教え、実践することによって、病んだ身体を癒すこともできると考えていました。

 特にカントの演説では、精神疾患の身体的な原因が注目されています。例えばカントは、モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn)の死を取り上げ、その死因をメンデルスゾーンの過度の節制・禁欲による栄養失調とみなしています。

さて、本文は次のように始まります。

「健全な肉体に健全な精神を持たせるようにしなければならない。」

これは日本でも聞きなじみのある言葉だと思います。心の健康のためには、身体が健康でなければならないというものです。カントは、徳を義務に従う確固とした心構えと考えており、それを「道徳的健康」と表現することもありましたが、それは基本的に理性と意志の力によってあらゆる感性的な誘惑を断ち切る生活になるので、むしろ健康に悪そうな印象があるかもしれません。確かにカントにとって真に健全な精神は道徳的な心だと思いますが、たんに精神論を語っているわけではないのです。実際、カントは常々、身体と心は密接に影響関係にあると考えていました。その点で、このテキストでの記述は、カントを知っている読者には意外に思われるかもしれません。 

カントによれば、

医師の仕事は、身体をケアすることによって病んだ心を助けることであり、哲学者の仕事は、精神的な養生法[regimen]によって病んだ身体を助けることである。」(AA 15: 939-940)

心に影響を与えれば身体にも影響を与えるし、逆もまたしかりであるから、医者と哲学者は別方向から病気を癒すことができるということになります。例えば、楽しい会話は消化を助けるから、いい感じの歓談が食事には必要であるとカントは語っています。ということはきっと楽しい飲み会は健康によいことになりますね(お酒さえ飲みすぎなければ…)。

次にカントは、人間学等でも導入している「情動(Affekt)/情念(Leidenschaft)」の区別を持ち込み、特に情動は、それが心を乱さない限り健康によいものであると述べています。哲学者は理性を養い、情念に屈服しないよう自分を律していかなければなりませんが、無理は禁物です。身体を気遣うことを忘れてはいけません。「悪習を背負った身体は、心も一緒に重く」してしまうから、「肉体の鍛錬は、哲学者のものだと考えるのが妥当」になるとのことです(AA 15: 941)。当時は、メンデルスゾーンが死んだことを、ヤコービの批判に端を欲するかの論争であるかのように語る人がいましたが、カントが思うに、「悪いのは、むしろ、あの嘆かわしい男が採用した生き方そのもの」であったと評価を下しています(ibid)。厳しい禁欲は、次第に身体を消耗させるのです。だから、一日に一回くらいは、よい食事をしたほうが良いとカントは語っています。以前、「哲学研究者は食事に無頓着のほうがよい」みたいな話をTwitterで見かけましたが、カントに言わせればそうではないということになります。

次にカントは、医学がどのように人間を対象とするかを、当時の代表的な二つの医学的見解を持ち出します。

純粋な機械論的な医学を追求するホフマンと「病気を治したり、収束させたりするのに、精神が驚くべき力を発揮することを宣言するシュタールです(AA 15: 943)。

カントによれば、哲学者はシュタールの方に目を向けるべきだとのことです。ここで、精神の力による治療法としては、想像力による作用が考えられています。医学としてどちらが優れているかは哲学者の問題ではありませんが、人間の認識能力については哲学者が扱うべき問題です。

カントによれば、想像力によって感情がかき乱されないために、心を楽しいことに分散させるのがよいとされています。その点で、やはり心から笑える歓談は身体の健康によいということになります。

身体に気を配ることで心にいい影響を与えるという治療法によって、医者は心のコントロールができます。医者の仕事は身体に直接関係するものですが、身体のケアによって感情の乱れを抑え、心の健康状態を保つような治療をすることで、哲学者の役割を果たすことがあります。これは賞賛されることだとカントは言っています。

心の養生法というのは、医者の仕事ではなく、哲学者の仕事、あるいは、医者は医者としてではなく、哲学者と呼ばれるべきものである。」(AA 15: 946)

このような医学的な心のコントロールは、あらゆる狂気や鬱、心気症など心の病気に有効だと考えられています。

これらの病気の原因は、心よりもむしろ身体に求められるべきものであり、患者の心を助けるのは、患者に血を流させたり、下剤を投与したりすることであって、彼に指導したり、彼と理屈を話し合ったりすることではないのである。」(AA 15: 947)

心と身体は影響関係にあるので、心が楽しいと身体のコンディションもよいというのは、私たちの感覚からしてもわかると思います。例えばカントは、宴会でめっちゃ楽しい時、1人で食事をしている時の倍の量を平気で食べられるということを指摘しています。まあ倍は言い過ぎではないかとも思いますが、わかる気はしますね。

このように、心と身体の健康のためには、人間は無理に節制しないほうがいいわけです。もちろん、身体だけを甘やかすような不摂生は最も避けるべきものですが。

メンデルスゾーンは、自分に厳しくしすぎたから死んだというのは、実際のところどうなんだろうとは思いますが、カントは次のように言い切っています。

彼は学問のために精神を良好に保とうと、節制を超えて、常に空腹を保ち、適切な食事の後に起こるわずかで一時的な胃の不快感を避けるために、禁欲を貫いた。しかし、このことによって、彼は非常に彼の体の力を弱め、過度の節制によって疲れ果て、死亡したのである。」(AA 15: 950-951)

みなさんも、無理な節制と暴飲暴食を避け、時に友人や家族との歓談を大切にして、心と身体をケアしていきましょう。

 

なお、ラテン語原文はチラ見程度で、以下の英訳をメインに使いました。

Gregor, M. (2007). On the philosophers' medicine of the body (1786). In I. Kant (Author) & R. Louden & G. Zöller (Eds.), Anthropology, History, and Education (The Cambridge Edition of the Works of Immanuel Kant, pp. 182-191). Cambridge: Cambridge University Press.