哲学なんて知らないはやくん

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精神医学に特有の倫理学:Raddenの徳倫理学的解釈

精神医学の倫理学という分野は、昨今のメンタルヘルスケアの拡大に応じて開拓されつつあります。それに応じて、精神医学の実践において求められる倫理的要件が模索されています。精神疾患はたんなる脳の機能障害であり、脳波を計測することで機械的に診断可能で、マニュアル通りに薬を処方するだけであるとするなら、精神科医に特別な徳のような倫理的要件が求められることはないように思われます。他の医療実践と変わらない原則で問題ないからです。しかし、前回のブログで述べたように(→精神疾患は脳の病か?ーー現象学の可能性 - 哲学なんて知らないはやくん)、精神疾患を脳に還元することができないという立場に立つと、そこには特有の倫理的要求が生じると考えられます。

精神疾患の原因がたんなる脳の機能障害ではなく、患者の世界全体の乱れであるとすれば、精神医療の患者を客観的な医学の対象としてのみ見るのではなく、それと同時に、主観的な歴史とエピソードをもった特有の経験主体として向き合う必要があります。それゆえ、精神科医は患者の主観的経験とそれに対する感想などから、何が世界から疎外されているような感覚を彼に与えているのかを引き出さなければなりません。これはたんなるフォーマルな質問用紙からでは見えてこない、パーソナルな情報です。そこで精神科医は、患者との信頼に基づいた友好な関係を築くよう努力するよう要求されます。つまり、精神科医は自分が医者として信頼に値する存在であることを示さなければならないのです。

そこで今回は、J. Raddenの解釈に基づいて、精神医学の実践に求められる倫理的要件として求められる徳についての議論を紹介したいと思います。

 

精神医学の徳倫理学——Raddenの解釈の検討

Raddenは、医療倫理学に対して、精神医学の倫理学の独自性を主張する代表的な論者です。Raddenによれば、精神医学は医学の全領域に適用される基本原則を共有しているが、いくつかの点で独自性を要求していると考えています。それをRaddenは次の3つのカテゴリーに分類します。

 (ⅰ) 治療者と患者の間に築かれた関係あるいは治療上の同盟関係、
 (ⅱ) 精神科患者のある種の特徴、
 (ⅲ) 治療の試み自体の目標と目的に関するもの、である。
 個別にとってみれば、これらの要素は、どれも精神医学の実践に特有なものではなく、他の医療分野でも多かれ少なかれ存在するものである。しかし精神医学では、この3つの要素すべてが揃っているため、診療に求められる倫理的要求という点で、精神医学を他のどの医学分野とも大きく異なるものにしている。([1])

精神医学の実践で最も重要な倫理的制約は、医者と患者との健全な関係の構築です。というのも、他の医療に比べて、精神科医療の治療において、医者と患者の関係は治療の効果に大きく影響するからです。例えばRaddenは精神科医療における関係を、外科医のメスに例えています([2])。関係が重要となるのは、精神科患者は、他の医療の患者に比べて脆弱性が高く、搾取に対して自己防衛能力が低いからです。患者との関係が欠かせない治療の一部となることから、治療者には特別な負担が強いられます。それゆえ、倫理的に行動する責任がより大きくなるのです([3])。

 

精神科医に求められる諸徳

Raddenはこれまでの研究を参照しながら、医療行為で求められる徳の中でも特に精神科医療に求められる徳として、例えば、以下のものを挙げています([4])。

・思いやり(compassion)
・謙虚さ(humility)
・忠実さ(fidelity)
・信頼に値すること(trustworthiness)
守秘義務を遵守すること(respect for confidentiality)
・正直さ(veracity)
・思慮(prudence)
・あたたかさ(warmth)
・感受性(sensitivity)
・忍耐力(perseverance

患者の依存性や傷づきやすさを特徴とするに精神科医療おける治療関係において、精神科医はそのような徳を獲得するよう努力しなければならないということになるのです。

Raddenは、このような精神医学の実践における特有の状況に対応して、徳や性格に基づいた特有の精神医学の倫理学が必要だと主張しています。しかしこれには批判もあります。

例えばCrowdenは、精神医学の倫理学は従来の倫理学的枠組みで十分であるから、「精神科医の役割のユニークな性質という現実は受け入れても、「別の倫理学(separate ethics)」という考え自体を否定することは可能である」と批判しています([5])。Crowdenが提案するのは、フロネーシスという実践知が、治療関係において倫理的に敏感なヘルスケアの実践を可能とするという議論です。Crowdenによれば、フロネーシスをもつヘルスケアの専門家が、その状況にふさわしい徳を見出し、適切な医療を提供することができるため、精神医学にとってのユニークな倫理学を構築する必要はないと結論付けています([6])。

Raddenはさらに、Crowdenの議論に対して応答しています([7])。そこでRaddenは、フロネーシスは実践全般にかかわる徳であるため、それは一種のメタ徳(meta-virtue)であると指摘し、その重要性は医療行為を超えてあらゆる実践において有用であるから、「フロネーシスは、医療の実践において必要で、特に役に立つ」という主張は成り立つとしても、それをもってユニークな倫理学は必要にならないと結論づけることはできないとしています([8])。とはいえ、RaddenとCrowdenは、「有徳な実践者なしには精神化医療の実践は倫理的実践にはなり得ないという確信を共有している」ことは重要です([9])。

最後に感想じみた見解を述べておくと、私もRaddenらが強調するように、精神科医は様々な徳を獲得し、陶冶していかなければならないことにはおおむね同意しますが、精神科医に要求する倫理的要件として諸徳をリストアップするだけでは不十分であり、それらの徳の実行を支えるものは何かということにも目を向ける必要があると考えています。

([1]) Radden 2002b: p. 52.
([2]) ibid. また、APA(American Psychiatric Association. The principles of medical ethics with annotations especially applicable to psychiatry)の文書でも、関係の重要性が強調されている。「医師は、医師と患者との関係は、患者の効果的な治療にとって極めて重要であり、医師と患者との健全な協力関係を構築するための最適な条件を維持することが、他のすべての考慮事項に優先するという点で一般的に同意している。」(APA 2010ed: p. 9.)
([3]) cf. Radden 2002a: p. 403.
([4]) cf. ibid. 「精神科医が上記のような徳を陶冶すべき理由はかなり明白であろう。例えば、搾取されやすい患者集団は、治療者の側に過大な感受性や信頼に値すること、忠実さを必要とするだろう。また、人間関係が中心となっている癒しの実践は、過大な感受性、謙虚さと忍耐力を必要とするだろう。」(ibid p. 56)
([5]) Crowden 2003: p. 145.
([6]) 「従って、医療従事者は、患者との間に役割分担的な治療関係を築くことになる。優れた医療従事者は、学問的な知識、実践的な臨床技術、患者へのコミットメントの態度を備えている。これらの異なる属性は、フロネーシスという徳によって統合され、実現されると考えるのが妥当であろう。したがって、フロネーシスが役割に関連した倫理的に敏感な倫理的実践にどのように影響するかを理解することは、医療における道徳的知恵と代理性をさらに理解するための鍵である。」(Crowdrn 2003: p. 146.) 「良い精神科医は、フロネーシスの徳から行為する。…[中略]…もし他の優秀なヘルスケアの専門家が、そのユニークな実践環境の中で、同様の方法で行為するならば、彼らもまたフロネーシスを有していることになる。したがって、「ユニークな」実践の場は、「ユニークでない」倫理学によって情報を与えられ、分析することができることは明らかである。」(ibid p. 148.)
([7]) Radden 2004, “The debate continues: unique ethics for psychiatry”, Australian and New Zealand Journal of Psychiatry, 38:3, 115-118.
([8]) Radden 2004: p. 116. なお、Crowdenは同タイトルの論文(The debate continues: unique ethics for psychiatry)で再び応答しているが、立場や主張にとりわけ変化はない。
([9]) Radden 2004: p. 118.


【文献】

American Psychiatric Association. (2010). “The principles of medical ethics with annotations especially applicable to psychiatry”. Washington DC: American Psychiatric Association.
Crowden Andrew. (2003). “Ethically sensitive mental health care: is there a need for a unique ethics for psychiatry?” The Australian and New Zealand Journal of Psychiatry, Apr;37(2):143-9.
Radden, Jennifer. (2002b). “Notes towards a professional ethics for psychiatry”. Australian and New Zealand Journal of Psychiatry, 36(1):52-9.
Radden, Jennifer. (2004). “The Debate Continues: Unique Ethics for Psychiatry”. Australian and New Zealand Journal of Psychiatry, 38: 115-118.
Radden, Jennifer. (2002a). “Psychiatric Ethics”. Bioethics.16(5):397-411.