哲学なんて知らないはやくん

哲学なんて知らない学生が、哲学の話をします。

はやくんって何してんの?:自己紹介も兼ねて

はやくんです。

ブログを開設して満足せずに、何から書こうかと悩んでいましたが、まず自分の関心とか研究の感じとか簡単に言わねばなと思いまして、ここに至ります。

大学生(もうすぐ4年)で哲学を専攻しているのは基本情報ですが、もう少し細かく、とはいえ細かすぎず、次のような順でお話しさせていただきます。

➀なぜ、いつから哲学をやっているのか

②特にどんな哲学思想に関心があるのか

③今までどんなことをしてきたのか

特に②については、今後深めた記事も書きますので、関心のある方はチェックしてみてください。

➀なぜ、いつから哲学をやっているのか

いつから哲学をしているのかは正直わからないですね。今も哲学をできているかわからないので。というわけで、いつから関心をもっているのかというお話にしますが、たぶん高校2年生の時からとなります。もともと人間の考えとか心とか、そういう類の話に関心があったんですが、ちょうど高2の時から2年間担任が倫理の先生(専門はたぶんソクラテスプラトン)だったんです。いろいろ話しているうちに気が合って、本を何冊か渡され感想を言う、みたいな感じで過ごしているうちに、大学で哲学がやりたいと思うようになりました。そのとき読んだ本で最初に読んだのが『ソクラテスはなぜ死んだのか』(岩波書店)だった覚えがあります。内容はまったく覚えてませんが…。

そんな感じで哲学に関心をもった私でしたが、当時一番好きだった哲学者が『正義論』で有名なジョン・ロールズでした。今でも関心はありますが、当時は「格差原理」って素晴らしい!みたいな超ド素人でしたが、少なくとも彼の議論は相当論理的で説得力を感じた記憶はあります。そこで思い切って『正義論』を高2の冬に買って、何とか読み切りましたが、読み切ったという達成感以外は何も残りませんでした。哲学初心者あるあるですね。その後、ルソーやミルなども読んでましたが、最初に関心をもったのは政治哲学の分野でした。なぜかというと難しいのですが、ざっくり言うと、社会が好きじゃなかった(?)ので、もっとましな社会はどうしたら実現できるのかという野心でした。

そして今、大学ではカンティアンになってしまいました。やはりなぜカントなのか、という点も政治哲学に関心をもったのと大枠は同じで、社会とか人間に関して感じた「何らかの違和感」に対して答えを出したい、という欲求でした。知りたいという気持ちから、哲学は始まるのだとソクラテスも言っていましたし、やはり誰しも根本的にはそこかなと思います。さらに言えば、知りたいという思いが掻き立てられるには、少なからず社会や自分に対する感受性が鋭いことも大事かなと思います。まあ始めてしまえば何とでも言えますね。次に行きましょう。

②特にどんな哲学思想に関心があるのか

言い始めるときりがないので、ほんとうにざっくりと話します。大きく3つに分けて、それぞれ詳しくは別の機会にしたいと思います。

1.カントの実践哲学

これはまあ専門にしてしまっているので、書かざるを得ないですね。今は特に『実践理性批判』『道徳の形而上学の基礎づけ』『道徳の形而上学:徳論』に関心があって、卒論のテーマにもしています。基本的には、現代の倫理学との議論の中でカント主義をどう位置付け、発展させていくかという視点でやっています。そのために、カントのテキストをしっかり読み込み、議論の枠組みを掴むことが切迫した課題です。ドイツ語はなんとか読めますが、カントの文章はもう最高に読みにくいので毎日うめき声をあげながら読んでいます。

さらに、これは長い目で見ていますが、広く知られたカント倫理学の厳格主義的な解釈を払拭したいという意気込みもあります。よく倫理学の教科書なんかで見かける「義務論(カント) VS 功利主義 VS 徳倫理」みたいのがあるじゃないですか。確かに理解しやすくするためには素晴らしい図式化なんですが、あれが気に入らなくて、どうにかしてより適切な倫理学説を検討したいと思っています。そのための足場がカント主義で、私は特に徳倫理とカント主義の対話を意識しています。一筋縄ではいかないでしょうが、やっているとけっこう面白いです。

2.人間の有限性についての実存哲学みたいなやつ

タイトルがざっくりしたことからわかるように、あまり深く考察したことはないものです。しかし最近けっこう強めに関心があるので、2番目にもってきました。最近「人生の意味の哲学」たるものが台頭していますが、その議論も嫌いじゃないです。私の主たる関心は、絶対的に生と死に規定される有限な人間存在のあり方というか意味というか、そういうところにあります。

最近は、ハイデガーが死の分析から不安という気分の議論を始めるのはどうしてか、ということを考えています。大きな枠組みでは、に力点をおき、人間の可能性や自由を論じるハイデガーと、もう一方で人間の有限性を規定する誕生に力点をおき、人間の自由などを論じるアーレントの哲学に関心をもっています。研究としてやっていける気はしませんが、自分を賭けて挑みたい哲学の問題の一つであることには変わりありません。

3.公共性と判断力

これは私の論文があるので、基本はそっちに投げます。簡単に言うと、人間がいかにして公共的な空間において、判断を伝達し合うのかという問題です。政治的実践の場面に限らず、日常的な場面でも私たちは思考をし、判断を下し、それを表明したりしなかったりします。そういう事柄の心的作用を分析していくことで、政治理論の構築にもつながるんじゃないかと思っています。

*細かく言えば他にもありますが、大枠はここに属するものです。

③今までどんなことをしてきたのか

毎日せっせと哲学書を読んでいるだけで、特に言えることはないんですが、よりはやくんを知ってもらうために絞り出してみます。

◎2年間研究費をもらって研究していました

うちの大学にある学部生ができる研究プログラムみたいなものに参加して、合計約10万円ほどいただいて、哲学の研究(もどき)をしていました。テーマは1年目がアーレントと公共性で、2年目がカントの実践哲学です。指導教員の手厚い指導のおかげで、2年間はかなり充実した期間になりました。

◎論文を出しました

上で書いた研究プログラムの成果として、運よく論文を発表できました。論文は所属大学の紀要に掲載され、一応学術論文として公開されています。おそらく、学部生のうちに論文を発表できたのは相当まれなケースだと思います。書いたのは2年生の時でしたし、自分でもよく書いたなと思います。実際は指導教員におんぶにだっこでしたが、それでも研究実績として残ったのは素直にうれしかったです。論文については、別の機会に紹介したいなと思っています。

◎カントの『道徳の形而上学の基礎づけ』を全訳しました

これは自己満足の類ですが、一番頑張った事なので言わせてください。カントの実践哲学における主著の一つである『道徳の形而上学の基礎づけ (Grundlegung zur Metaphysik der Sitten)』を一通り訳しました。今年の5月から始めて、約9か月半かけてやりきりました。訳の正確さについては、毎週2時間弱ほど、指導教員と確認してきたので、確認できた箇所まではそこまで問題ないと思います。これは本当に長い戦いでした…。この訳出を通して、ドイツ語でテキストを読む力がついたと実感しています。

 

いかがでしたか。ご覧のように、私はなんてことない平凡な哲学徒ですが、少しでもみなさんの関心を引けるように今後色々と書いていきたいと思います。たぶん次回は少し哲学じみたお話をします。ではでは、Tschüss!