哲学なんて知らないはやくん

哲学なんて知らない学生が、哲学の話をします。

オンライン演習への懸念

ブログなので、たまには思ったことをだらだらと書き綴りたいと思います。

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で各大学の授業がオンラインに移行されたことは周知の事実です。もちろん、私が通う大学も例外ではなく、来週からオンライン授業が始まります。私は4年生なので、卒論の執筆を中心に、演習にいくつか参加する感じなので、授業の数はそこまで多くはないです。

これまで、担当教員とオンライン接続テストとして何度か打ち合わせをして、演習をどう進めるかを議論してきました。私は哲学の専攻で、演習は基本的にテキストを読んで議論するという形式のものです。さて、オンライン化によってどうなるやら…という感じです。

まず、オンライン授業には懸念ばかりではないと考えています。基本的に、哲学は言葉だけで勝負する学問なので、一旦技術的な問題を除けば本質的にはそこまで変わらないと思います。従来の方式でやってきたことで伝わっていたことが伝わらなかったり、逆に伝わっていなかったことが伝わったりと、新たな発見はあることでしょう。その点、そこまでネガティブに考えてはいません。当然、先生方の忙殺された様子を見ると、かなり大変な事態であることに変わりありませんが。

しかし演習のようなディスカッション形式では懸念がやはり多いです。特に、私の大学ではカリキュラムの変更によって、演習の履修者が20人を超えることがザラです。この中で自由な議論を促されても、なかなか喋り出せないのが実情です。(私はおしゃべりですし、議論の空気感が好きなので、それなりには喋り出してしまう方ですけども) 問題はたぶんここです。オンライン演習では、そこに空間の奥行は生まれません。あの独特な空気感と、目線の配り方など、失われるものは大きいと思います。そもそも議論の本質はたぶん空間的なものにある気がします。私が懸念しているのは、目線を空間的に駆使できない中で、どれほど哲学の演習がうまく成立するだろうかということです。少人数ならともかく、20人を超えるとなかなか厳しい気がしています。とはいえ、経験したことがないので、実験的な意味で楽しみでもあります。

特に新入生や演習に初めて参加する2年生などは、不安も大きいと思います。でも哲学という学問は変わりませんし、テキストも変わることはないです。私たちが思考を止めることもありません。確かに失われるものはありますし、期待していたものを得られないかもしれません。しかし、本質的なものは必ず残ります。

Das Wesentliche west, das Ausserwesentliche aber verwest.
(本質的なものは生存し、非本質的なものは死滅する)

ということで、不安が拭えない昨今ではありますが、きっとどこまでも変わらない真理を探究していきたいと思います。