哲学なんて知らないはやくん

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カントの啓蒙論 : 時代性と現代性

カントの啓蒙論は啓蒙の時代と呼ばれる18世紀のドイツで生まれた思想でありながら、「自分の頭で考える勇気をもたない未成年状態からの脱却」という議論には、今日性を感じます。当時が抱えていた時代性 (特に顕著なのは宗教・信仰に関わる事柄) と現代に生きる我々が抱える時代性は、もちろん全く重なることはありませんが、カントの啓蒙論を学ぶことで生かせる発想もあると思います。とりあえずは、カントが啓蒙論を打ち出した経緯や歴史、そして現代への影響をごく簡単に書きたいと思います。

カントの啓蒙論として広く知られる短い著作である『啓蒙とは何か』 は、『純粋理性批判』を筆頭とした三批判書と呼ばれる著作たちよりはかなり読みやすい雰囲気を持っています。その理由の一つは、この『啓蒙とは何か』は、当時、様々なテーマをめぐる活発な議論の場となっていた『ベルリン月報』という雑誌に寄稿されたものであったためか、一般読者を想定した書かれ方で、さらに哲学的というよりは実用的な性格をもっているからと言えるかもしれません。

そこでのカントの有名な主張は冒頭にあります。カントは、「啓蒙とは人間がみずから招いた未成年状態から脱出することである」という定義のあとで、啓蒙の標語として「自分自身の知性を使用する勇気をもて!」を掲げています。誤解を恐れずに簡潔に言うと、自分で考えず他人に考えてもらう受動的態度を批判し、自分の頭で考えることを広めようとした、ということです。このように、自立的な思考を呼びかける点において、カントの啓蒙論は現代でもなお啓発的で新鮮なものであると言えるでしょう。

ところで、この「啓蒙」という言葉がとにかく馴染みのない日本語なので、簡単に説明する必要があるかもしれません。啓蒙にあたるドイツ語はAufklärungで、英語はEnlightenmentとなります。どちらも、照らし出すというニュアンスが含まれています。理性の光で照らすことで、無知蒙昧な状態から明るく思考に開けた状態へと移行させる、というような感じだと思います。(厳密にはそれぞれ語の意味を調べてください。)

さて、カントはいかにして光をもたらそうと奮闘したのでしょうか。まず、カントは未成年状態 (依存的な状態) から抜け出すのは難しいと言います。それは自分で考えない方が楽だからであり、未成年状態が染み付いた人間というのはそこに留まろうとするからです。(さらにカントは彼らを世話する後見人たちさえも、それを促していると言います) そこでカントは、啓蒙されていない状況で、個人の力でそれぞれが努力するよりも、状況そのものを変える方がまだ可能性があると考えます。もちろん、これが非常に厳しい道のりだということは、カントもよく自覚していました。とはいえ、理念を掲げることがその第一歩であることに変わりはありません。

このようにして啓蒙を進めるために、カントが必要だと考えたのが「自由」であり、「理性を公的に使用する自由」でした。ここで言われている「公的」という言葉の意味が、現代の日常的な語彙とは逆であることに注意が必要です。カントは、今で言う公務員などの、職についている状態の理性使用を「私的」、学識者として職務外における理性使用を「公的」と区別するのです。職務中は役目をまっとうすべく、機構の内部で上司の支持に従うことはよしとされますが、それを離れたら自由に開かれた議論をすることが求められるということです。とはいえ現代の様子を見ると、職務を離れても理性を自由に使って議論をすることは避けられる (というか認められない) ような気はしますが、少なくともカントの主張はそうでした。

この思想は当時のフリードリヒ大王への応答であり、さらにベルリン・アカデミーの懸賞問題がその枠組みを提供したと考えられており、歴史的な背景を探ると興味深すぎて眠れなくなります。

このように展開されたカントの啓蒙論は有名であり、例えばマルクス主義、ホルクハイマーやアドルノの議論、さらにはハーバーマスフーコーの論争に至るまで、影響を与えたと言われています。それゆえ、カントの啓蒙論についてはかなり多くの研究論文があり、翻訳も充実しています。しかし、やはり歴史的な背景をみると、先程も述べたように、『ベルリン月報』という雑誌への寄稿という体裁をとっていたことから推測もされますが、啓蒙とは何かという同テーマで多くの論文が寄せられたという事実があります。

私はその中で、特に重要なのはメンデルスゾーンの啓蒙論だと思います。メンデルスゾーンの啓蒙論はカントのそれと同様、当時の知識人たちに受容され、議論されました。しかし、カントに比べると圧倒的にメンデルスゾーンの啓蒙論への言及は少ないです。そこで、メンデルスゾーンの啓蒙論 (これもまた短いもの) を翻訳していきたいと思います。

とはいえ、今回はここまでで書きすぎたので、次回以降に公開します。一応、既訳としては1976年に岩田先生が試訳されたものがあるのですが、若干古いというのと、自分でやってみようという気になったので、やっていきたいと思います。直訳を意識してやりますので、必ずしもわかりやすくないかもしれませんが、誤りのないよう丁寧にやりますので、興味のある方は是非参考になさってください。
本日はこのへんで。