哲学なんて知らないはやくん

哲学なんて知らない学生が、哲学の話をします。

語る物と語る者——記憶と向き合い、その声を「聴く」


私は昨年の秋頃、広島の平和記念資料館を訪れ、原爆ドームや慰霊碑はもちろん、資料館にある数多の展示資料をじっくりと観てきました。そこで感じたことを言葉にするかどうか迷 いましたが、少しだけやってみることにします。ところでなぜ迷ったかといいますと、感じたことを言葉にして共有しようと世界に現わした瞬間に、魔法が解けたかのように、いや魔法がかかったかのように、あの時あの場で受け取ったあの感情が姿をすっかり変えてしまうような感じがしてしまうからです。今回も少なからずそれを感じてしまうことだとは思いますが、しかし、同時に語らずにはいられなかったのです。おそらく、あの場に立ち声を聴いたものは語ることを余儀なくされるようにも感じています。ここまででお分かりになるかと思いますが、私としてもなかなかにこんがらがった感想になってしまいそうです。どうかお許しください。
原爆ドームの衝撃は相当なものでした。もちろん写真などでは何度も見たことはありましたが、目の前にしたことは今回が初めてでした。
秋晴れの空のもと、歴史を語るその姿は圧倒的です。ハイデガーは建造物や施設といった耐久性のある物は、それなりに歴史をもっていると述べておりましたが、歴史をここまで背負う建造物はなかなかないように思います。そしてまさしく、私は原爆ドームを目の前にしたとき、歴史と出会ったような気がしました。突然の、偶然の出会いのような感覚です。歴史をその身に刻んだ物は、時間を超越して語りかけてくるのだと実感しました。過ぎ去ってすでにない過去がいま目の前にあるという不思議。これを何と言い表せるかはわ かりませんが、貴重な経験だったことは確かです。〈過去の断片〉が今まさに現在的だったのです。これは能動的な体験ではないような気がします。もちろん原爆ドームが実際に私になんらかの力を加えたわけではないので、受動的な体験でもないのですが、 これは原爆ドームからの働きであった、そんな気がしています。そしてその働きによって、私は記憶と向き合わされたのです。もちろん、これは私の記憶ではありません。それは、思い出を振り返るような能動的な私自身への働きかけではないのです。当然、実際に戦争を経験された方やリアルな経験を実際に聞いた方には敵いません。私は何も、そのような彼らと同じように記憶と向き合い、歴史を語る資格を得たなどと思いあがったわけではありません。しかし、実際に私は物たちの声を聴いたような気がすると、そう感じているのです。
他にも、原爆によって亡くなった子供たちの衣服や定期入れ、被爆地から疎開先の我が子へあてた手紙、被爆し弱りゆく身体を引き受けながら教授になりたいと夢を語る日記、 様々な物と出会いました。正直、ここまで息の詰まる想いに駆られるとは思っていませんでした。確実に彼らは私たちに語りかけてきています。正直、私はその声がすべて聴こえた、というわけではありませんが。時間を超えて、私たちをあの時代の人々と向き合わせる、いやそれは言い過ぎかもしれませんが、そんな感じです。「もうない過去」から、「まだない未来」へと物たちは声を繋ぎ、そしてその間で「いま」私たちはその声を聴くのです。
しかし、私がその声を聴いたと感じることはできたのは、他でもなくその歴史が語られてきたからです。確かに物は歴史性を帯び、実際に過去を経験していますが、それだけではその瞬間その場に居合わせた証人たちの間でしか残りません。例えば、何も語られることなしに、説明の書かれた書物なしに、突然パッと日常の中の景色に今回出会った物たちが現われたとしても、私はその声を聴くことはできなかったと思います。その点、やはり語る物と共に、語る者がいなければなりません。世代を経ていくにつれて、傷が癒えていくにつれて、その歴史は薄れていってしまうことは否めません。悲しいかな人間はやがて死に、忘れていく生き物です。しかしだからこそ、私たちは物の声を、歴史を、「聴く」 ことができるのではないかと思っています。すべてを知ることなどできず、死を約束された限りある生を抱えて生きていかなければならない人間だからこそ、物との出会いは時間を超えた思考を促されうる経験となるのではないかと、今回の訪問を機に考えるようになりました。そして、その思考を経験し、声を聴いた者たちがいるかぎり、歴史はその過去を現在へと呼び起こしてくれることでしょう。語る物と語る者、彼らの、いや私たちの対話によって、私たちは絶えず反省し、平和へと歩みを進めていくことができるのだと思います。